一人ひとりの利他が、地球と平和の土台をつくる —私が考えるウェルビーイングとは vol.3
9月21日は「国際平和デー」——そう聞いても、自分ごととして捉えにくいと感じる方も多いかもしれません。PEACEDAY代表の井上高志氏は、「利他の心」を軸に30年にわたって活動を続けてきた実践者。ウェルビーイングと平和と利他の心がどうつながるのか。そして、日本社会に今必要なものは何か。熱い想いを存分に語っていただきました。
井上 高志(いのうえ たかし)

1968年、横浜市生まれ。リクルートコスモス(現コスモスイニシア)を経て1995年に独立。1997年に株式会社ネクスト(現LIFULL)を設立。現在は代表取締役会長を務める。
特定非営利活動法人PEACE DAY 代表理事、一般社団法人ナスコンバレー協議会 代表理事、一般社団法人新経済連盟 理事、公益財団法人Well-being for Planet Earth 評議員。
利他とは、行った瞬間に返ってくるもの
井上さんにとって、ウェルビーイングとはどのようなものですか?
私がまずお伝えしたいのは、「利他主義」のことです。26歳の時に、京セラ創業者・稲盛和夫さんのおっしゃる「利他の心」という言葉に出会い「これだ!」と思って。以来30年間、それを軸にやってきました。
世界平和についても、ウェルビーイングについても、結局のところ、世界中のみんなが利他的になれば、世界は平和になるし、みんな幸せになれる—Well-beingの大家である前野先生ともよくそういう話をしています。
利他は、仏教の「自利利他」という考えから来ています。「自分の利は、人への利の裏返し」という意味で、「情けは人のためならず」のよくある誤解—いつか巡り巡って自分に返ってくる—よりも、もっと根源的なことを言っています。利他を行ったその瞬間に、すでに表裏一体で自分に返ってきている。それが本来の意味なのです。
だから、自分がウェルビーイングで幸せな状態に満たされたいと思うなら、人に対して利他的に行動することと、実は表裏一体なのです。そういう行為をしている自分自身に心の安寧が生まれ、ウェルビーイングになっていく—そういう関係だと思っています。
「利他の心」が腑に落ちた体験や、きっかけはありましたか?
よく学生さんたちにお話しするのですが、例えば、電車やバスで白い杖をついた方や、ハートマークをつけたお年寄りや、妊婦さんが乗ってきた時、さっと席を譲ることがありますよね。あるいは、自分が立っていても、辛そうな妊婦さんのためにサラリーマンの肩を叩いて「席を譲ってあげてください」とお願いすることもある。
その時、見返りを期待してやっていますか?—そう問うと、みんな「そんなことはない」と言います。ではなぜやるのか。それは、人間に本来備わっている自然な感性だからです。ホモサピエンスはコミュニティを形成し、お互いに助け合うことで生きてきた。その25万年分のDNAが染みついているのです。
見返りを求めないでやった時、青ざめていた妊婦さんがほっとした顔で「ありがとうございます」と言った瞬間——どんな感覚がしますか?なんかいいことしたな、心が温かくなる感覚がある。しかも、そんなに意識せず自然にやっていた。それが、自利利他の瞬間なのです。巡り巡って返ってくるのではなく、その場ですでに返ってきているという表裏一体の関係です。
その感覚が、事業を立ち上げる原点にもなったのですね。
そうですね。新卒でリクルートコスモスというデベロッパーに入った時のことです。ある若いご夫婦が、私がご案内した物件をとても気に入ってくださった。ところがバブル崩壊直後で、世帯年収が十分あっても、ローン審査が通らなかった。泣く泣く諦めざるを得なくて。
目の前で落胆しているご夫婦のために何かできないかと、自社物件だけでなく他社の物件も探しました。お客様の代わりに私が先にモデルルームを見に行き、パンフレットをもらって、「このプランならちょうどはまるのではないですか」というのをご自宅までお届けし続けて。最終的に、他社の新築分譲マンションで契約が決まったのです。
当然会社には一円にもなりませんから、上司にはこっぴどく叱られました(笑)。ですが、会社から課されていた成績はきちんと達成していましたし、コミットメントは果たしたので内心「叱られる筋合いはない」とは思っていました。
後日、そのご夫婦がわざわざお礼を言いに来てくれた。「リクルートコスモスさんの物件は買えなかったのは残念だったけれど、あなたのおかげで逸れに代わる素晴らしい物件を契約することができました、井上さんがいなかったらこの物件に巡り合えていなかった」と。
その時、頭のてっぺんからつま先まで、幸せで包まれるような感覚でした。仕事って、こういうものだ。心底喜んでもらえた時、なんて幸せな感覚なんだ—それが、今の事業の原点です。新卒入社してわずか2ヶ月の時のことです。
稲盛さんの書籍を読んだのは、その4年後のこと。「利他の心」という言葉を知った瞬間、あの時の体験と全部つながりました。これだ、と。
もともと日本には、利他の文化があった
日本社会においてウェルビーイングを実現するために、何が必要だとお考えですか?
もともと日本には、利他の文化があったと思うのです。
江戸後期には、今のコンビニと同じくらいの数の寺子屋が全国に生まれました。読み書きだけでなく、道徳も教えている。識字率がほぼ100%の国になり、「人としてこうあることが良きことだ、徳のあることだ」という考え方が延々と受け継がれてきた。武士道もあれば、儒教のような外来思想も取り入れながら、人としていかに生きるかという、非常に高潔な文化・文明になっていったと思います。
「ヤマト(大和)」という言葉も、大きな「和」です。和をもって貴しとなす—そういう民族は、世界的に見ても珍しい。
それが変わってしまったのは、ここ150年ほどの話です。1,300年以上の歴史を持つ国なのだから、取り戻せるはずだと思っています。
今の小学校でも、掃除当番や給食当番がありますよね。これは海外にはなかなかない文化です。サッカーのスタジアムで、試合後に日本のサポーターだけがゴミを片付けて帰る。完全になくなったわけではない。
ただ、偏差値教育で良い大学に行けばバラ色になるという成功モデルに社会が傾倒した時期が数十年ありました。それがもはや崩れているのに、そのマインドセットをまだ引きずっている部分がある。
145カ国で実施したサラリーマンの仕事へのやる気調査では、日本は最下位で5%しかないというデータもあります。20人に1人しか仕事に対してやる気がない状態で、それでもなんとか社会が動いているのはすごいことですが、危機的だとも感じています。
元来は持っているはずのDNAを、もう一度掘り起こしていく—そのための道徳や利他の教育的なアプローチが、今とても重要だと感じています。
ウェルビーイングは、地球と平和という土台の上に成り立つ
井上さんはPEACEDAYという活動をされていますが、ウェルビーイングと平和はどのようにつながっているのでしょうか?
ウェルビーイングというと、なんとなく心理的なアプローチで、「こうなれば幸せになれるよ」という話に聞こえることがあります。でも私は、もっと社会構造的なものだと思っています。
私はミルフィーユのように層を重ねて考えていて、一番下の土台が「地球」です。すべての生きとし生けるもの、無機物まで含めてサステナブルに存在できている状態が継続できること。第二階層に人間社会がありますが、戦争が各地で起こっている状態ではなく、誰もが安心して生活を営める環境が整っている状態でなければなりません。そのような地球環境、人間社会が実現できなければ、その上の第三階層の人間を含む生きとし生けるもののウェルビーイングは成り立たないのです。ですから私たち地球市民は地球、平和、ウェルビーイングを一体のものとして取り組む必要があるのです。
今、その土台が揺らいでいます。あちこちで山火事が起き、洪水が起き、温暖化が進んでいる。世界200カ国のうち、水道水が飲めるのは12カ国しかない。戦争や経済競争で奪い合いが続き、自国さえよければという発想が行きすぎると、不必要な開発で地球や自然環境や生態系をさらに痛めつけることになる。
戦争・紛争・テロの問題もあります。今、世界中で武力紛争が戦後過去最大規模で起きています。紛争当事国は最低でも120カ国以上、難民の数は日本の総人口に匹敵する1億2,000万人以上になっている。ウェルビーイングだけに焦点を当てて今のガザの子どもたちに「あなたの幸せ度は10段階で何点ですか?」とアンケートをとれるような状況ではない。
ウェルビーイングは、地球環境と平和という二つの土台が揃わなければ、夢物語です。
だから私はさまざまな団体と連携し、活動も組み合わせて、三つの層を同時に考えることが必要だと思っています。
地球に住んでいる、社会で暮らしている、全ての人が当事者なんです。
その状況を変えるために、何が必要だとお考えですか?
「幸せになりたいですか?不幸になりたいですか?」と聞けば、100%の人が幸せになりたいと言います。
「美しい環境が千年続く方がいいですか、破壊されていく方がいいですか?」と聞けば、ほぼ全員が前者を選びます。
「平和と戦争、どちらがいいですか?」も同様です。
これだけ明白な問いなのに、「じゃああなたは明日から何を始めますか?」と聞くと、急に立ち止まってしまう。ここを変えなければいけない。
祈りだけでは平和にできるのだとしたら戦後80年間も立っているのですから、すでに平和になっているはずです。もちろん、「祈り」を否定してはいません。とても大切だという大前提があった上で、さらに構造改革が必要で、経済界・学術界・市民・自治体・国家がそれぞれの役割を担って動いていかなければいけない。
具体的には、「平和資本(Peace Capital)」という概念を広めたいと思っています。
企業はESGに加えて「平和資本(Peace Capital)」という概念を持ち、これまで平和資本にフリーライドしていた立場を転換して、平和構築への投資・支援に取り組むべきです。現状でもすでに日本経済へのマイナスインパクトは年間20兆円ほどの損失を与えているのですから。
ドラッカー曰く、問題が起こってから対処するコストと時間よりも、予防する方が40分の一の投資で防げる、と言っています。また、100万人以上の声を集めて国へ提言する「平和署名プラットフォーム」を構築していきます。市民一人ひとりの声は届かなくても100万人ともなれば無視はできません。共に声を上げていきましょう。
そして学術界は、平和学、紛争学、経済インパクトなどをしっかり検証して理論を確立して、戦争のリスクを社会に発信することが重要です。こうして経済界、市民、学術界、地方自治体、国が一体となって地球、平和、幸福のために力を合わせるときが来ています。
今はまだ小さなスタートかもしれませんが、うねりはみんなの力で大きくなっていくものです。いつか、志のある多くの方々が「あの財団に参加しないのはありえない」と感じるような存在になってほしい -そう心から期待しています。
PEACE DAY 2026について
PEACE DAY 2026は、国連が定める「国際平和デー(9月21日)」に合わせて開催される、日本最大級の平和をテーマとした市民参加型イベントです。個人・企業・NPO・NGO・行政などが連携して、「平和を自分ごととして考え、行動するきっかけ」を創出することを目的としています。
今年は、2026年9月21日(月・祝)の国際平和デーにあわせ、代々木公園 イベント広場で開催予定です。
井上さんもこの認定NPO法人の代表理事であり、主催者でもあるので、ご登壇されますので、是非お越しください!
https://peaceday.jp/2026/fes/


連載について
「私が考えるウェルビーイングとは」は、日本ウェルビーイング財団が毎月お届けするインタビュー連載です。研究者、実践者、助成団体など多様なゲストとの対話を通じて、ウェルビーイングの多面的な姿を探求します。
