2026/8/20

視野を広げるほど、幸せになれる—— 「個人の幸せ」を超えて、すべての生きとし生けるものへ -私が考えるウェルビーイングとは vol.02

「幸福学」の第一人者として20年以上にわたりウェルビーイングを研究してきた前野隆司氏。なぜ今、財団という形での活動に踏み出したのか。「個人の幸せ」から「すべての生きとし生けるものの幸せ」へ—その思想の軌跡と、日本社会への熱いメッセージを聞きました。

前野 隆司(まえの たかし)

武蔵野大学ウェルビーイング学部長/慶應義塾大学名誉教授
公益財団法人日本ウェルビーイング財団理事

1984年東京工業大学卒業、1986年同大学修士課程修了。 キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、 ハーバード大学訪問教授、 慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長などを経て、2024年4月武蔵野大学ウェルビーイング学部長就任。 ウェルビーイング学会代表理事。博士(工学)。著書に、『 ウェルビーイング』(2022年)、『幸せな職場の経営学』(2019年)、『幸せのメカニズム』(2014年)、『脳はなぜ「 心」を作ったのか』(2004年)、『心を持つAIは作れるのか?いや、そもそも人に心はあるのか?』(2026年)など多数。
https://www.musashino-u.ac.jp/research/interview/51_maeno/

ウェルビーイングは、私の「一生のテーマ」

前野先生にとって、ウェルビーイングとは何ですか?

自分自身のウェルビーイングというよりも、世界のウェルビーイングを実現すること—それが私の一生をかけるテーマです。

幸せの研究を本格的に始めたのは20年ほど前のことです。もともとエンジニアですから、「幸せな世界を作るためには、製品やサービスにウェルビーイングをきちんと埋め込まなければいけない」と考えたのが出発点でした。人々が幸せになるような製品、サービス、まちづくり、職場づくり、教育—そうしたものを社会に広げたいと思い立ち、20年間、地道に取り組んできました。

 その研究を続けてくる中で、ずっと持ち続けていた課題意識はありましたか?

ずっと気になっていたのは、「個人の幸せ」だけにフォーカスしていると、どうしても分断が生まれてしまうということです。真の意味でウェルビーイングを広げるためには、すべての生き物の幸せという視点を持たなければいけない—この問いが、20年間ずっと頭の中にありました。

人は、ついつい視野が小さくなってしまうんです。職場の幸せを考える時も、幸せな製品づくりを考える時も、まず「周りの人を幸せにしよう」となる。それ自体は大切なことなのですが、大きな視点を忘れて、小さな視点だけになってしまうことが、いつも起きてしまう。

だからこそ、財団を立ち上げようという話になった時、「すべての生きとし生けるものの幸せ」という理念を必ず掲げたいと、強く主張しました。

生きとし生けるもの、全ての営みが幸せでありますように。美しい花や小さな生き物にも目が向かいます。(撮影:前野隆司氏)

学会・学部、そして「財団」——次のステップへ

学会、学部と活動を広げてこられた中で、なぜ次は「財団」だと思われたのですか?

学会は「研究したい人が集まる場」です。学部は「学びの場」です。それらを通じて、ウェルビーイングをボトムアップに広げることはしてきました。

しかし今の世の中の根本的な課題は、格差です。大きな富を持つ人と、そうでない人がいる。環境問題も、戦争も、貧困も、格差が生み出している面が大きい。

この格差を縮小するためには、志のある方のお金が、より良い社会のために動く仕組みが必要です。財団というのは、お金のある人とお金がないけれど良いことをしている人をつなぐ場—資本主義の原理を、社会正義のために活かせる仕組みなのです。

学会も作った、学びの場も作った。次は、ウェルビーイングな活動をしている人たちをつなぐ財団が絶対に必要だと、ずっと思っていました。そう考えていたら、同じ願いを持つ方々が現れて、一緒にやりましょうという流れになりました。偶然のようで、必然の流れだったと感じています。

「個人の幸せ」を追うと、なぜ分断が生まれるのか

「個人の幸せを追求すると分断が生まれる」とおっしゃっていましたが、そのメカニズムをもう少し詳しく教えていただけますか?

「自分たちが大切」という気持ちは、誰もが持っている自然な感情です。家族を守りたい、仲間を大切にしたい——それ自体は良いことです。ただ、その輪が閉じていると、「考えが違う相手には勝ちたい」というロジックになってしまう。それはミクロからマクロまで、すなわち、家庭内、企業内の対立も、国家間の争いも、相似形です。

今の世界を見渡すと、「自分たちさえ良ければ」という発想が各地で力を持ちつつあるように見えます。そのロジックが行き着く先は分断です。

すべての争いは、視野の狭さ、そして相手への思いやりの不足から生まれているのだと思います。だから「7世代先の子孫のことまで考えよう」とか「すべての生きとし生けるものの幸せを願おう」という言葉を、意識的に言い続けなければならない。人は緊急事態に対処するように作られているので、どうしても視野が狭くなり、直近のことを考えてしまうのです。

授業風景より「人類3.1」。「今、私たちは新たな節目にいます。」(写真:前野隆司氏Facebookより)

では、その視野を広げるために何が必要だとお考えですか?

研究の結果として明らかになっていることがあります。視野の広い人の方が、視野の狭い人よりも幸せだということです。

他人のことを考える場合と自分のことだけを考える場合、地球環境のことを考える場合と考えない場合、7世代先まで想いを馳せる場合と目先のことしか考えない場合——自分で考えてみると、視野が広い方が、なんだか気持ちいいんです。

自分とは直接関係のない未来の人たちへ思いを馳せた時、じんとした感動がある。「人類、行けるぞ」という感覚というか。視野が広がると、そういう感動が生まれるんです。

だから必要なのは、「視野の広い利他性を感じるための教育」だと思います。ウェルビーイング学部※では、あらゆる授業を「すべての生きとし生けるものの幸せ」と関連づけて教えることを全教員にお願いしています。

実は、学部で出版予定の著書の執筆中にも同じことが起きました。
「すべての生きとし生けるものの幸せ」という理念を掲げているにもかかわらず、各章を書いていると、いつの間にかその視点が抜け落ちてしまっていた。自分自身が書いた章もそうでした。人は、一つのことに集中すると視野が狭くなってしまうのです。

だからこそ、随所で「これは生きとし生けるものの幸せにつながっているか?」と問い直すことが必要だと、改めて実感しました。

※ウェルビーイング学部について:前野教隆司氏が武蔵野大学に設立した、世界初のウェルビーイング学部(2024年4月開設)。個人の幸せから社会・地球全体のウェルビーイングまでを学際的に探求するカリキュラムを展開している。

座学だけではなく、体験も重要視。自然の中で、地球の歴史とともに、生きとし生けるものの幸せを考える「ディープタイム ウォーク」は、様々な気付きを生み出すプログラムのひとつです。(写真:前野隆司氏Facebookより)

歴史の中で育まれてきた「和を尊ぶ」という知恵

日本社会において、ウェルビーイングを実現するために必要なことは何だとお考えですか?

日本は、高温多湿の東アジアという、生物多様性の非常に高い地域に位置しています。縄文時代の知恵、弥生時代の知恵、そして最先端のテクノロジーが共存している——人類の歴史、あるいは生命の歴史の縮図のような国だと思っています。1億人を超える人口を持ちながら、古代の知恵が今も息づいている国というのは、世界的に見ても非常に稀有な存在です。

日本は「和の国」です。「和をもって貴しとなす」—この言葉は、単なる古典的な教えではなく、分断のない世界を目指す姿勢そのものを表していると考えています。

ただ、この30年ほどで日本はその自信を失いつつある。少子高齢化や経済的な停滞の中で、「もうダメかもしれない」という空気が漂っている。

しかし世界から見れば、日本の安心・安全、おもてなし、謙虚さ、きめ細かさは、今も高く評価されているのです。

日本に生きる私たちが、自分たちの文化の素晴らしさを、誇りとともに思い出す—それが、日本においてウェルビーイングを実現するための大切な一歩だと思っています。

ぽつぽつ、しとしと、ざあざあ…。雨音を描写する日本語は沢山あります。それは、自然のわずかな違いにも美を感じとる、日本人の繊細な感受性の表れともいえるでしょう。(撮影:前野隆司氏)

その日本の知恵や文化を、世界に発信していくことも重要だということでしょうか。

そうです。すべての生きとし生けるもののウェルビーイングを感性として自然に感じてきた日本の文化は、世界に発信できるポテンシャルを持っていると思います。

一方で、欧米の人々に伝えるためにはロジックも必要です。感性で感じることと、論理で伝えること—その両方のアプローチをバランスよく持つことが大切だと思います。

私が広めたいと思っているのが、「ワイドニング(Widening)」という概念です。個人の幸せを起点に、視野を少しずつ広げていくと、実は東洋の伝統的な思想が伝えてきたこととつながっていく—個人主義の文化を持つ人々にも届くような言葉で、その道筋を示したいのです。

財団への期待——「うねり」を、ともに大きくしていく

最後に、日本ウェルビーイング財団への期待を聞かせてください。

志のある方のお金を通じて、より良い社会を作る活動を支援していく。財団が、その「流れ」のコアになることを、本当に期待しています。

スタートは小さくても、うねりはみんなの力で大きくなっていくものです。今回の助成金に応募してくださった団体は100近くありました。どれも素晴らしい活動をされている方々です。そのすべてに、想いとお金を届けられるような、大きな財団になってほしいと思っています。

個々の幸せと全体の幸せを、両方追い求めている実践例がどんどん増えていく—それが、目の前の課題と大きなビジョンをつなぐ架け橋になると信じています。大学でも、学会でも、財団でも、それぞれの形でやっていく。いろんなやり方で、同じことをやり続けることが大事なのだと思います。

いつかビル・ゲイツやウォーレン・バフェットが「あの財団に寄付しないのはありえない」と言うくらいに育ってほしい。夢は大きく、というのが私の信念です。これは社会正義であると確信していますし、私利私欲のまったくない、ピュアな活動であることが財団の大きな強みだとも思っています。

みんなで描いて、みんなで進んでいきたいですね。


参考:

みんなが幸せな世界を創る 「ウェルビーイング学」入門(武蔵野大学)
(武蔵野市寄付講座の講義録より)

連載について

「私が考えるウェルビーイングとは」は、日本ウェルビーイング財団が毎月お届けするインタビュー連載です。研究者、実践者、助成団体など多様なゲストとの対話を通じて、ウェルビーイングの多面的な姿を探求します。

財団ウェブサイト:https://japan-wellbeing-foundation.com

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